長草に飛行場があった! [長草のポイント]
...といっても、滑走路のほとんどは隣の東海市にあったわけで...それでも大府飛行場と呼ばれていたのだから、「長草に飛行場があった!」と言い切ってしまってもよいだろう。
大府飛行場は、三菱の飛行機工場に隣接して作られ、1944年4月に完成し、「四式重爆撃機(通称「飛龍」)」を生産し、送り出していたようだ。 1945年に終戦を迎え、使用されなくなるが、1952年から1958年までは、中日新聞の飛行場として使われていたようだ。
ここらあたりの話は、こちらのサイトに詳しく書かれている。
史跡探訪 「熱田・豊川の空襲 5.愛知の飛行場」
http://www.ne.jp/asahi/hayashi/love/atsuta5.htm
飛行機生産や防衛、あるいは訓練のために、戦争中、いかに多くの飛行場がつくられていたかがわかる。どこの飛行場も、大府飛行場のように、今は人知れず消え去っているようだ。

大府飛行場は、上の航空写真の位置にあったようだ。(参考サイト:空中写真サービス http://mapbrowse.gsi.go.jp/airphoto/)
現在の豊田自動織機長草工場のあたりに、三菱の飛行機工場があり、その北西に滑走路があるのがはっきりと分かる。(現在の地図と見比べていただくと、何所にあったかよくわかると思う。
http://buzzmap.so-net.ne.jp/nagakusa/


この写真は、豊田自動織機長草工場。かつては、この手前あたりまで、大府駅からの引込線が続いていたようだ。

引込線はこちらの方向(東)へ延び、大府駅まで繋がっていた。今、その形跡は残っていない。

飛行場跡の現在の様子。南東から北西に向かって眺めている。幅は狭くなったが、真直ぐに伸びている道路が滑走路の跡を物語っている。

豊田自動織機長草工場からは、部品や製品(自動車)を積んだトラックやカーキャリーが頻繁の出入りしている。
つくる製品は、飛行機から自動車に替わったが、同じ輸送機器だし、引込線の鉄道がカーキャリーやトラックに替わり、勿論、手段は変わったが、その製品で世界の中で戦っている姿など...飛行場の有無を除けば、意外と共通する事が多いようにも感じた。

- 作者:
- 出版社/メーカー: 文林堂
- 発売日: 2003/01
- メディア: 単行本
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長草日々新聞 後記 今週の月曜日に発刊した「長草日々新聞」も週末を迎えた。こんな拙い文章を、多くの方に読んでいただいた事を、まず感謝します。 記事として取り上げた「長草の名前」「太陽と緑の道」「行者像」「大府飛行場」「どぶろく祭り」といった事柄は、以前から興味があり、とりあえず文章…[続く]
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takagakiさん、nice! をありがとうございます。
by 長草の牛 (2009-03-31 23:52)